<泉南アスベスト国家賠償請求訴訟>記者クラブが厚労省に言いなりだったことに唖然


原一男[ドキュメンタリー映画監督]

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まだ記憶に新しいが、10月9日、最高裁で「大阪・泉南アスベスト国家賠償請求訴訟」の勝利判決がでた。が全面勝訴ではなかった。

個々の被害状況の違いによって、そもそも受理自体を裁判所から拒絶された原告がいて、分断されたのだ。その検証は別の機会に譲るとして、基本的には原告団が勝ったのだから、そのときの塩崎功労大臣に謝罪をするようにと面会を求めた。

さすがに避けられないとみて厚労省は面会を受け入れた。30分ほど会いましょう、と言ってきたのだ。本来なら厚労大臣の方が、現地・泉南に出向いて原告らに謝罪するのが筋というものだと思うが、ま、そこは問わずにおこうと弁護団の方針。原告団側は、できるだけメンバーが一人でも多く会いたいだろうからと人選。

実はこの時、筆者は記者クラブの会員ではないという理由で、取材・撮影は認めれなかったのだ。が、弁護団の強い姿勢での交渉で筆者一人だけという条件で認められた。

テレビ局はカメラマンと録音マンのコンビが認められたというのに。その取材も、内実は、謝罪セレモニー30分のうち、まず大臣が謝罪して、次に原告団の代表が要請文を読み上げて、そこまでで取材陣は退席、と厚労省側のペース。

記者クラブ側は「わずか30分ではなく丸ごと取材をさせろ」と自分たちの特権を発揮して、そういう要求をするかと思いきや、それはなし。言いなりじゃないか!

ま、何とか筆者もマスコミ関係者に紛れて大臣室に入ったものの、いいカメラポジションは、わずかの空間しかない。そこにTV局関係カメラマンがひしめき合って、残念ながら原告団の表情がよく見てとれるグッドポジションは確保できなかったn。

 

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原一男

原一男(はら・かずお) ドキュメンタリー映画監督。1945年生まれ。疾走プロダクション所属。1987年の映画「ゆきゆきて、神軍」は、ベルリン映画祭カリガリ映画賞、シネマ・デュ・レェール・グランプリなど、数々の賞を総なめ (奥崎謙三は、かつて自らが所属した独立工兵隊第36連隊のウェワク残留隊で、隊長による部下射殺事件があったことを知り、殺害された二人の兵士の親族とともに、処刑に関与したとされる元隊員たちを訪ねて真相を追い求める。) 小説家・井上光晴の晩年5年間を追いかけたドキュメンタリー映画「全身小説家」は、1994年のキネマ旬報ベストテン1位・日本映画監督賞、毎日映画コンクール日本映画大賞。