<積極的平和主義を再考する>なぜ安倍首相は重大な場面で強い発言をし、その後に柔らかな表現に改めるという事を繰り返すのか?

政治経済

藤沢隆[テレビ・プロデューサー/ディレクター

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前回のメディアゴンの記事「<今、メデイアがすべき大事な仕事>安倍首相の中東訪問はどのような政府の戦略のもとで実行されたのか?」で安倍首相の発言に周到さがなく、逆に「前のめりグセ」があるのでは? と指摘させていただきました。その中で2月2日の政府声明を取り上げました。

「残虐非道なテロリストたちを私たちは絶対に許さない。その罪を償わせるため日本は国際社会と連携していく。」

テレビ朝日「ニュースステーション」によれば、この文言は官邸の意向で付け加えられたものだそうですが、筆者には「罪を償わせる」という文言が「復讐」をにおわせる激しい表現に聞こえました。案の定、「ニューヨークタイムス」紙をはじめ、少なからぬ海外メディアは「罪を償わせる」を「リベンジ」と解し、日本がイスラム国に「復讐」あるいは「報復」するという政府声明を出したと伝えたようなのです。
しかし、前稿でも書いたように、この言葉について、その後の国会答弁で安倍首相はこう説明しています。

「二人を殺害したテロリストは極悪非道の犯罪人であり、どんなに時間がかかろうとも国際社会と連携して犯人を追いつめて法の裁きにかけるという強い決意を表明したものでございます。(中略) 警視庁及び千葉県警による合同捜査本部を設置いたしまして事件の全容解明に向けて所要の捜査を開始したところでございます。(中略) 罪を償わせるということは、彼らが行った残虐非道な行為は法によって裁かれるべきであろうとこう考えるところであります。」

国会答弁は刑法犯を警察力により逮捕し、法に従って処罰するという、しごく当たり前の発言で、国家によって「復讐」することとはまったく違う話です。声明の数日後に外務省が出した英訳では「復讐」とか「報復」とは受け取られないような柔らかい表現になっているそうです。
もし、国会答弁の方が安倍首相の真意なら、なぜ最初から誤解を招かないような表現を選ばないのでしょうか。どうしても強い言葉を選びたがる安倍首相の「前のめりグセ」が軽率な言葉の選択になり、国際的な誤解を生んでしまったのではないでしょうか。
もうひとつ、前稿でも取り上げた、問題視される2月17日のエジプトにおける安倍首相演説です。

「(前略)イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。(後略)」

この表現に配慮が足りなかったのではと指摘されているわけですが、この批判に対し安倍首相は、

「テロリストの思いを忖度してそれに気を配る、あるいは屈するようなことがあってはならない」

という趣旨の強気の発言で押し通しています。しかしこの3日後、イスラエルでの内外記者会見では前文と同様の説明部分で安倍首相自身が、

「(前略)国際社会への重大な脅威となっている過激主義に対し、イスラム社会は、テロとの闘いを続けています。(中略) 日本も、イラクやシリアからの難民支援を始め、非軍事的な分野で、できる限りの貢献を行ってまいります。 我が国が、この度発表した2億ドルの支援は、地域で家を無くしたり、避難民となっている人たちを救うため、食料や医療サービスを提供するための人道支援です。正に、避難民の方々にとって、最も必要とされている支援であると考えます。(後略)」

という文言に終始しています。どうでしょう、エジプト演説とはだいぶニュアンスが違うと感じるのは筆者だけでしょうか。さらに記者との質疑応答でも、

記者:「イスラム国側は、総理が先日カイロで表明された2億ドルの支援表明を理由に、殺害警告を挙げております。このように総理の方針に挑戦するかのようなイスラム国の対応についてどのようにお考えになるか(後略)」

安倍首相:「この2億ドルの支援は、正に避難民となっている方々にとって最も必要としている支援と言えると思います。避難民の方々が命をつなぐための支援といってもいいと思います。地域の皆さんが、避難民となっている方々が必要となっている、こうした医療、あるいは食料、このサービスをしっかりと提供していく、日本の、私は責任だろうとこう思っています。(中略) 地域の人々が平和に安心して暮らせる社会をつくっていく、そのために日本は、今後とも非軍事分野において積極的な支援を行ってまいります。」

やはり、このイスラエル会見では17日のエジプト演説とは違う配慮が貫かれているように思えます。
もし、エジプトでの演説でもイスラエルでの内外記者会見のような文言を用いていたら、その後の配慮不足という批判は出なかったでしょうし、もしかしたら、イスラム国に日本を「聖戦」における敵とみなす口実を与えなかったのかもしれません。もちろん、だからといって湯川・後藤両氏の命が救われたかどうかはわかりませんが。
しかしなぜ、安倍首相は重大な場面で強い発言をし、その後に別の柔らかな表現に改めるという事を繰り返すのか、なぜはじめから配慮した発言をしないのか? それは国家としての意図的な戦略というよりも、安倍首相の「前のめりグセ」なのではないかと思えてなりません。
2月第1週、イスラム国問題が論議される衆参両院で開かれた予算委員会の集中審議テレビ中継を可能な限り視てみました。メディアゴン編集部は「翼賛体制構築に抗する声」に賛同していますが、まさに国会でのやりとりはその憂慮のとおり、政府批判にはいささか恐る恐るの感があります。

「いま国民は残忍なテロに対して心を一つにして立ち向かわなければならない。いろいろと批判するのはイスラム国を利するだけだ。」

という意見に押されているような印象でした。
そうした雰囲気の中、政府は核心を突く質問には真っ向からは答えません。エジプト演説の問題点について、

「演説内容が人質二人の命に危険をもたらすかも知れないという認識はあったか?」

という質問にもせいぜい、

「テロリストに過度に気配りする必要はない」

として肝心の質問主旨である“認識の有無”には頑として答えません。このような芯を外した答弁が延々と続きます。
こうした場合、テレビニュースは「国会論戦はすれ違いに終わりました」とか「議論はかみ合いませんでした」としめますが、この表現は間違いのように思います。正しくは「政府は真っ向から答えませんでした」ではないでしょうか。
そんな中、印象的だったのは共産党・小池晃議員の、

「17日と20日では発言のニュアンスが変わっているのは人質の命の危険を認識したからではないか」

という質問に対し、なんと安倍首相が突然質問主旨をまったく逸脱した答弁を始めたことでした。

安倍首相:「小池さんの質問にはISILに対して批判してはならないような印象を我々は受けるわけでありまして、それはまさにテロリストに屈するということになるんだろうと私は思います。」

さすがにこれは暴言でしょう。この時の安倍首相の表情には、テレビ画面から苛立ちがはっきりと見て取れました。やはりこの人は苛立つと瞬間湯沸かし器的に強い言葉を吐き出したくなる癖があるのではないかという強い印象を受けた場面でした。それにしてもあまりにひどい発言ですね。これが大きな問題にならないのは翼賛体制の故かも知れません。
イスラム国関連質疑ですが、安倍首相には一貫して「前のめり」な強気と苛立ちが見え、そして「人命尊重」を謳いながら結果として二人の日本人の命を守れなかった痛切な反省がほぼ見えなかった国会論議でした。
そして蛇足です。二人の日本人が惨殺された哀しみの中での予算委員会初日のことです。ほぼモノクロのテレビ画面に際立ち続けるひと筋のピンク。その激しい場違い感。それは安倍首相の隣に座る人のネクタイでした。あまりに色あざやかなピンクです。それは、政府首脳たる麻生副首相のネクタイです! なにかお祝い事でもあったのですか?
安倍首相の苛立ちとピンクの場違い感、これらをくっきりと映し出すのがテレビ。
ちなみに、積極的平和主義とは「proactive contribution to peace」と訳されるそうです。この意味が伝わっているのでしょうか。

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