<「ヒーロー不在」の平成>映画監督として「描きたい主人公に出会えない」絶望的状況


原一男[ドキュメンタリー映画監督]

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1968年の新宿騒乱。その渦中にいて、機動隊に投石ができなかった自分の臆病さ、軟弱さをイヤというほど思い知った私・原一男。その「臆病さ」を克服するには、どうすればいいか? 自分より圧倒的に、精神力に優れていてタフな人に鍛えてもらうしかない!と考えた。

全共闘運動はまぎれもなく私に「革命が起きるかもしれない」という幻想をインプットした。ならば、先頭でなくてもいい。お尻の方でもいいから隊列に加わりたい。そのためには、己を強くしなければ。そう、私は強くなりたかったのだ。

もうひとつ。若かった自分に言い聞かせたことがあった。

「生活者的生き方」ではなく「表現者的生き方」をすべきだと考えたのだ。「生活者的生き方」とは、自分と自分の家族の幸せのために生きる、という生き方を指す。「表現者的生き方」とは、他人と他人の家族の幸せを追求する生き方、というより、もっと大きく、世界が平和に、そして幸せに生きられる世の中を実現するために・・・という生き方だ。世間知らずの、若さ故の単純な正義感だったと思うが、そんな生き方をしたいと夢みたのだ。

もっと具体的に言うと、全共闘運動の「家族帝国主義解体」というスローガンを、けっこうストレートに信じていた。今から思うと苦笑いしてしまうしかないのだが。

二つのキーワードを実践した結果が、疾走プロ(疾走プロダクション:原一男、小林佐智子率いる制作プロダクション)の映画「4作品」である。

  • 1972年「さようならCP」横田弘+横塚晃一
  • 1974年「極私的エロス・恋歌1974」武田美由紀(※トノンレバン独立国際映画祭グランプリ受賞)
  • 1987年「ゆきゆきて、神軍」奥崎謙三(※日本映画監督協会新人賞、ベルリン映画祭カリガリ映画賞、シネマ・デュ・レェール・グランプリ、報知映画賞優秀監督賞、等受賞)
  • 1994年「全身小説家」井上光晴(※キネマ旬報ベストテン1位・日本映画監督賞、毎日映画コンクール日本映画大賞、等受賞)

各作品の主人公は私にとっては、まさにスーパーヒーローなのである。個々の作品において監督である私の目標値が如何に達成されたのか、あるいは失敗したのかの検証は別の機会に譲るとして、今、私は、新たな課題に直面している。

平成という時代の今、筆者にとってのスーパーヒーローが不在なのである。

いや、この平成という時代、ヒーローという存在を許容しなくなったと言い換えるべきだろう。したがって、私が描きたい主人公たちに出会えない、という絶望的状況のまっただ中にいる。

 

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原一男

原一男(はら・かずお) ドキュメンタリー映画監督。1945年生まれ。疾走プロダクション所属。1987年の映画「ゆきゆきて、神軍」は、ベルリン映画祭カリガリ映画賞、シネマ・デュ・レェール・グランプリなど、数々の賞を総なめ (奥崎謙三は、かつて自らが所属した独立工兵隊第36連隊のウェワク残留隊で、隊長による部下射殺事件があったことを知り、殺害された二人の兵士の親族とともに、処刑に関与したとされる元隊員たちを訪ねて真相を追い求める。) 小説家・井上光晴の晩年5年間を追いかけたドキュメンタリー映画「全身小説家」は、1994年のキネマ旬報ベストテン1位・日本映画監督賞、毎日映画コンクール日本映画大賞。