<続・生きてやろうじゃないの!>東日本大震災と被災者家族の記録(6)実家の解体工事に涙した「失格ディレクター」

社会・メディア

武澤忠[日本テレビ・チーフディレクター]
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実家の解体当日。この日のことは生涯忘れることはないだろう。
築50年の思い出が染みついた我が家がなくなる。老朽化ではなく、津波のせいで。父の遺影を手に持ちながら、母は崩れゆく家を見守っていた。
ユンボが、丁寧に服を一枚一枚脱がせるように壁を剥ぎ取り、柱を引き抜いていく。しかし、父がお気に入りだった「茶の間」の柱は、最後のあがきのようにビクともしない。震度6にも耐え抜いた屋敷が、最後の意地を見せているようだった。

「家が泣いてるよ・・・負けるもんかって泣いてる。お父さんの死にざまと一緒だ。
こんだけ踏ん張って・・・あっぱれだ」

父の遺影を胸に抱えながら、誇らしげに母が言う。
このとき、筆者はカメラを回しているのが辛くなった。
テレビマンとして、記録しなければ、という気持ちと、長男として、家がなくなる瞬間くらい感傷にひたりたいという気持ちが交錯する。
しかしカメラを回し続けた。「俺はディレクターだ」と、自分に言い聞かせながら。
やがて、茶の間の柱も大きく揺れる。瞬間、父の生前の笑顔が脳裏をよぎった。この部屋は、父にとって「小さなお城」だった。その茶の間がなくなる・・・。ついに力尽きたように柱が倒れ、壁が崩れた瞬間母が目を伏せた。
そして今まで、父の葬儀のときも気丈に泣かなかった母が、その瞬間から慟哭をはじめた。
慟哭。それはまさに慟哭だった。母の泣き顔を見るのは、何よりも辛かった。
カメラを回しながら、その顔を見ていられず後ろに回り込む。再び土煙をあげて壁が倒れこんだが、何度ピントを合わせてもうまく合わない。気が付けば、自分の涙で、ファインダーがよく見えなかった。

「ディレクター失格だ。」

その取り壊しの日の日記に、母はこう綴っている。

「まるで・・・自分の手足が切り刻まれているのを見るようで、辛く、苦しい・・・抜けるような青空だったのに、白い雲が寄ってきた。『孫悟空』みたいにお父さんが雲に乗って、家の最期を見届けにきたのかな・・・家の形が何もかもなくなって・・・未練と悔しさと悲しさを、同時に持ち去ってくれるなら・・・それも良しとしよう・・・」

解体の直後、瓦礫の中から意外なものが見つかる。赤い筒に入れられたそれは、津波被害以来どこへいったかわからなくなっていた「金婚式のお祝い証書」だった。
家が崩れ去り、何もかもが無くなった瞬間、その中から出てきた「金婚式」の証書。それはあまりに出来過ぎたタイミングであり、父からのメッセージだと感じざるを得なかった。
証書を握りしめながら目に涙を滲ませて母が言う。

「私は生きてなきゃ、駄目なんだね。生きて、ちゃんと後始末しなきゃ駄目なんだね」
・・・この証書見たら、元気にならなくちゃね」

母の見上げた視線の先には、青い空に白い大きな雲が浮かんでいた。
(※本記事は全10回の連続掲載です)
 
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