ドキュメンタリー監督とはアジテーターでありオルガナイザーでなければならない


原一男[ドキュメンタリー映画監督]

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日本のドキュメンタリーの基本的な態度は、“共生”であるというのが筆者の見方である。

この“共生”は奥が深い。以前も言及した「水俣ー患者さんとその世界」(http://mediagong.jp/?p=3533)を再度、例にあげることになるが…。この作品は、土本監督たちスタッフが、チッソを相手に裁判を起こした29世帯を一軒一軒訪ね、丹念に患者たちの胸の内を聞き出していく描写があり、患者自身による裁判闘争、一株運動、そして最大の盛り上がりをみせるのがチッソ株主総会での患者と会社側の対決のシーン。

ラストで、女性患者が江崎社長に怒りと無念さを叩きつけるくだりは日本のドキュメンタリーの中でも屈指の名場面であろう。この現場で、まさにその二人の対決シーンの音声を記録していた助監督の堀傑が教えてくれた。

「僕、土本さんに聞いたの。これ(対決シーン)、土本さんの演出ですよね?って。そしたら土本さん、うん、って答えたんだよ。」

一株運動で知られる後藤孝典を水俣へ連れて行ったのは土本さんなんだよ。そこで後藤さんを患者さんに引き合わせたんだよね。

こういうことである。土本典昭は、水俣病の患者達の運動の盛り上がりを期待し、一株運動を導入することで、株主総会での対決シーンを狙った。堀の説明を聞きながら、さもありなん、と私は納得していた。

土本は、武闘闘争を標榜していた時期の日本共産党の党員だったという経歴がある。つまり人民をオルガナイズをするのが仕事だったはず。水俣病の運動にのめり込んでいった土本には、患者たちの運動が、革命運動とダブって見えたに違いない。革命運動であるならば戦術・戦略がなければならない。

その戦略こそが、一株運動であった。その読みがドンピシャリと的中したというわけだ。 私は堀の話に、そうかあ、ドキュメンタリーの監督とは、アジテーターであり、かつ、オルガナイザーでなければならないんだ、そんな資質を持ってないと監督はできないんだ、と深く感動していた。

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原一男

原一男(はら・かずお) ドキュメンタリー映画監督。1945年生まれ。疾走プロダクション所属。1987年の映画「ゆきゆきて、神軍」は、ベルリン映画祭カリガリ映画賞、シネマ・デュ・レェール・グランプリなど、数々の賞を総なめ (奥崎謙三は、かつて自らが所属した独立工兵隊第36連隊のウェワク残留隊で、隊長による部下射殺事件があったことを知り、殺害された二人の兵士の親族とともに、処刑に関与したとされる元隊員たちを訪ねて真相を追い求める。) 小説家・井上光晴の晩年5年間を追いかけたドキュメンタリー映画「全身小説家」は、1994年のキネマ旬報ベストテン1位・日本映画監督賞、毎日映画コンクール日本映画大賞。